会長コラム“展望”

トップにだってボスがいる

2013/04/30

組織


3カ月前の本稿で、現在のわが国のトップについて「人間は失敗から学ぶことで成長するのだから、安倍首相も例外ではないはず」と書いたら、本当にそんな感じになってきた。大胆な金融緩和を打ち出しただけでお茶を濁そうという感はなく、TPP交渉参加、憲法改正論議と途切れなく自らの思うところのビジョンを実行しようとしている。日々の新聞の政治面には首相の一日の行動が報道されているが、連日のように政財界にとどまらず、さまざまな分野の専門家と積極的にミーティングを行っていることが書かれてある。調べてはいないが、歴代の首相と比較してもその行動力や活動範囲はダントツなのではないだろうか。打ち出したビジョンや決断が正しいかどうかは歴史が決めることだが、行動と決断をしているという点は素直に称えることができる。

「未来に向かって進む道を選択する」という行為には当然リスクが伴う。いくら英知を集めたとしても、未来に起こることを知っている人はいないわけだし。そんな中でトップは、選択する道を決めなくてはならない立場である。

何十年か前のわが国の成長期であれば、何も決断しないという選択肢も有効だったのかも知れない。しかし人口は減少、世界一の高齢社会、財政や社会保障は破綻寸前、20年も続くデフレ状況、という中で何もしないという選択は、みんなで死にましょうと言っているに等しい。企業も同様で、これまでのビジネスのやり方を変えず、何もしないという選択肢が有効に機能するのは、市場が成長期だからであって、成熟期や衰退期に入っている中で、何も変化を加えなくては企業も衰退してしまう。「未来に向かって進む道を選択する」のはトップの専権事項であり、これだけは権限の委譲はできない。ではトップは何をよりどころに、未来への意思決定を行うのだろうか?

呼称はさまざまだが、企業において一般的に平社員には係長というボスがいる。同様に係長には課長、課長には部長、部長には取締役という指示を仰ぐ存在がいる。よくサラリーマン向けのビジネス書などには、一つ上の役職の立場になったつもりで仕事をしなさい、といったくだりを読むことがある。課長の立場なら「部長だったらどう考えるかな」という意識を持って仕事に臨みなさい、ということだろう。読みかえれば、「今の自分より一段上の視点からモノを見ろ」ということか。

さてここからが本題、課長には部長というボスがあり、そのボスの視点を持てと言われる。しかしながらトップにはボスはいない。指示を仰ぐ存在がないのだから、当たり前の話である。したがって、トップは自らの視点から意思決定を行うことがほとんどであろう。だけど、トップにとって「今の自分より一段上の視点」も存在するのではないか、というのが本稿のテーマである。私の場合はそれを神さまの視点と呼んでいる。「神さま」などと書くと、「こいつヘンな宗教に洗脳されてしまった」と思われるかもしれないがそうではない。

ここでいう「神さま」とは、社会をより良い方向に導こうとする目には見えない存在、という定義にしておきたい。「神さま」はとても便利な言葉なのだ。これを「社会」とか「公」と読みかえてもいいだろう。そして、経営者としての感覚で言わせていただければ、トップが「神さま」をボスと定義し、その視点でモノを考え、意思決定を行うことが会社を成長させる、少なくとも潰さない最も有効な手だてなのではないか。


1.自分のことを大切に考える自分

2.家族のことを大切に考える自分

3.社員や仲間のことを大切に考える自分

4.社会のことを大切に考える自分


大ざっぱな分類で恐縮だが、人間は1〜4の間を行ったり来たりする存在だと考えることができる。その際大切なことは1から4に移行するのではないということ。時々、世で名を成した人物の過去を暴いて、あたかもその人が悪人であるというようなことを言う輩がいる。その輩は、人間が1から4に移行する存在だという誤った認識を持っている。しかし実際は、マザーテレサのような特別な人物は別として、ほとんどの人間は1〜4の間を行ったり来たりしている存在で、その成長につれて3や4のウェートが大きくなるだけなのだ。

企業においてトップには目に見えるボスはいない。でも目に見えないボスを自らが設定し、そのような視点からモノを見て、意思決定をすることが会社の成長につながるのだと最近考えるようになった。失敗から学んだ安倍首相も、そのような視点で動いているのかも知れない。


株式会社 鎌倉新書

代表取締役 清水 祐孝