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会長コラム“展望”

個人的価値観 2016.10.31

ただ生きる、よく生きる

 この11月で父親が亡くなって2年になる。ということは、わたしもその間に(当たり前だが)2つ歳を取ったわけで、自分の順番が来るのもあの日から確実に2年近づいたということ。父親とは歳がちょうど30年が離れていたから、葬儀の時には「自分も残り30年かあ」と考えてしまったことを思い出す。彼の病歴は60代半ばのころに肺ガンが見つかったことで始まった。

 幸いガンは初期のものであったのだが、そこからは治療と再発を繰り返すという感じで、病気と付き合いながらの生活となっていった。とはいえ、定期的な通院以外で入院するのは年間で1~2週間程度、残りは普通の生活をしていたし、仕事にも従事していた。


 フェーズが変わったのは亡くなる1年ほど前のこと、そこからは病気中心の人生になってしまった。そして亡くなる3ヶ月ほど前に、会社に来ようとして横断歩道で倒れたことがきっかけで寝たきりになってしまう。だんだん自分の力で食事が摂れなくなってきた頃、医師から「点滴からの栄養摂取では限界があります。お勧めはしませんが、胃から直接栄養を摂取する方法もあります」という説明があった。知り合いの方でその方法で時間を稼いだ事例も知っていいたのだが、あまり意味のあることに思えなかったし、母親も同意見だった。結局、衰弱は進み割と短い期間で死に至った。きっと治療の手段を選ばず、生存すること(それがどのような形であっても)だけにフォーカスすれば、彼はまだ生きていたかもしれないと今でも思ったりする。


 親に長生きしてもらいたいのは当然の感情だが、寝たきりになって自らの意志も示すことができなくなっても、となると少し考え込む。さらに、亡くなった後に精算した医療費(プラス入院費など)はかなり高額だったから、この何倍かの金額(後期高齢者医療制度では医療費の負担は1割、しかも月額の上限もある)は国の社会保障費の中から医療機関に支払われているわけで、そう考えるともっと考え込んでしまう。

 終末期に父親のようなパターンをたどる人は全く珍しいものではなく、超高齢社会のこの国にはたくさん存在している。従って、日本の終末期医療にはかなりの額の社会保障費がつぎ込まれている。ある試算によれば、人が一生に使う医療費の約半分が死亡前の2ヶ月に使われるという。


 わたしは父親に長生きをしてもらいたかったし、同じ立場の人はほとんど同じ感情を持つだろう。だから、医療で出来る限りのことはしてあげたい。ここまではOK、何の問題もない。しかし、その負担を誰がしているのかといえば、これは国民であり、その多くは現役の世代である。そして彼らが豊かに暮らし、悠々その費用を負担しているのかといえば、yesと答えられる人はほとんどいない。


 余談だが、もしこの負担が軽くなれば、その分は別の消費に回されて、政府や日銀が願ってやまない物価上昇にもつながっていたのかも知れない。こうした構造的な問題に切り込まずに、金融政策だけで物価上昇を実現しようなんて、練習に行かずに好スコアを夢見るわたしのゴルフと一緒で、全くの無い物ねだりに思えてくる。


 さて、酷い言い方をしてしまえば、終末期の父親は世の中に対する価値を全く生み出していない。そのように考えると、高齢者医療の問題は、優先順位を決めるという問いかけに変換しなくてはいけないと強く感じるのだ。選挙になると、候補者は声高に社会保障を充実させますと訴える。本心かどうかはさて置き、それが得票に結びつくということだろう。


 でも、伝えなくてはならないのは、高齢者福祉も現役世代の豊かさも大切な中で、両方を実現することは高齢社会がさらに進展するわが国においては、人口動態上からも不可能だということ。そして、訴えなくてはならないのは、そんな中で優先順位をどこに置きますかという問いかけだ。


 平均寿命が世界でもトップクラスであることを喜んでいる場合ではない。ただ生きることとよく生きることとは違う。それが、父親からの最後の学びだった。


株式会社 鎌倉新書
代表取締役社長 清水 祐孝