会長コラム“展望”

「変革」を起こすということ

2016/07/31

社会

一橋BF 先日、「変革を起こす、実行者のリーダーシップ」なるセミナーでのパネルディスカッションに登壇する機会をいただいた。これは、一橋大学のイノベーション研究センターと東洋経済新報社の共催で年に1度行われているもの。

今年は日立製作所とマツダの会長が基調講演を行っていたぐらいだから、それなりの権威のあるものだろう。したがって、本来ならわたしなどにはお声が掛かる類のものではないのだが、一橋大学の米倉教授から「自らの行ってきた変革について語れ」という直々に指示があったので断るわけにもいかず、登壇することになってしまったのだ。


とはいえ、わたし自身のこれまで行ってきたことは変革と言えるほどのことではなく、むしろ苦しまぎれにやってきたことでしかない。また、わたしたちは小さな会社だから、参加者の多くが所属しているであろう大企業の経営幹部にとっては参考にならないとも思った。ただ、考えてみれば小さな会社の事例だから却ってシンプルで分かりやすいのかなと考え直すことにした。

 さて、わたしたちが行ってきたことを振り返ってみると、それは変革というより、隣地に活路を求めてずらしてきた、といったほうが近い。最初のステップは仏教書や仏壇仏具の専門出版社から、周辺の市場(葬儀・仏壇仏具・墓石)に向けた出版社へのずらしである。人々が仏壇を買う動機のほとんどは、家族が亡くなったことに伴うものであり、それは、葬儀やお墓が必要になる動機と同じである。その観点から、供給者(売り手)の視点ではなく、消費者(買い手)の視点で事業を捉えるべきだと考えた。

 次に行ったことは、提供している価値の捉え直しである。わたしたちの会社は「出版社」と言われるのだが、顧客は出版物という文字を印刷製本したものが欲しいのではない。顧客が求めているのは、そこに書かれてある情報である。つまり、情報こそが提供している価値であり、出版物はその伝達手段に過ぎないのである。そのように考えると、情報を印刷物で伝えることにこだわる必要はない。口頭で伝えればセミナーになるし、特定の顧客にだけ伝えることはコンサルティングになる。そして、90年代の終わり頃からインターネットが普及していったから、これも情報を伝える手段に利用可能かなと考えるに至った。このことが、今日のインターネットサービスに結びついているわけだ。

 このように考えてみると、わたしたちにとって「変革」とは、自らの足もとを捉え直し、社会の変化と照らし合わせて、将来に向けてより良いと考える方向に向かって歩みを進めること、ということになる。偉そうなことを書いてしまって顔が赤くなるが、実際は「そうしないと、死ぬと思ってやってきたこと」に過ぎないわけではあるが。

 社会が目まぐるしく変化する中で、さまざまな組織で変革の必要性が叫ばれている。しかし、それを志向することと実現することには大きなギャップがあることもわたしたちはよく知っている。わたしたちの会社のような小さな組織では変革は比較的容易だが、大きな組織では当然難しくなる。いっぽうで、大きな組織でもトップの強烈な指導力のもとで変革を成し遂げるケースもないではない。そんなことを考えていて、変革に関する法則(ちょっと大げさな表現だが)を思いついた。それは変革の成否には、危機感の大きさとリーダーシップ及び権力基盤の強さが分子にあって、分母には組織の大きさがあるというものだ。数式にすると、

危機感



となる。危機感が大きければ変革は起こし易いが、そこにはトップのリーダーシップが不可欠である。いっぽうで強いリーダーシップがあっても、そこに十分な権力基盤がなくては、リーダーは変革の必要性を感じていない人たちの餌食になる。役所やサラリーマン社長が率いる大企業で変革の事例がほとんどなく、いっぽう大きな組織であっても(例えばソフトバンクやユニクロみたいな)オーナー企業では絶えず変革が起こっていることは、このことからも合点が行くだろう。わたしとしては、この変革係数は大発見だと思う(笑)のだが、皆さまのご意見はいかがでしょうか?

 今般の参議院選挙では与党が大勝し、安倍首相は権力基盤をより強固なものとすることができた。いわば変革係数は上がったわけだ。それなら、憲法改正に執念を燃やすよりも、もっと長期的な視点から痛みを伴う構造問題の変革にチャレンジしてもらいたい、そんな風に思ったりする。

 株式会社鎌倉新書 代表取締役社長
清水 祐孝