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会長コラム“展望”

社会 2011.09.01

企業は人の取り合いをしている


 ある大手の金融機関に勤務する米国人の友人がいる。仮にA君としておこう。彼はアイビーリーグの名門校で金融工学を修めたスーパーエリートで、卒業後はいくつかの外資系の大手投資銀行で債券のトレーダーとして活躍してきた。家賃150万円の高級マンションを会社に借り上げてもらい、おそらくは年収も億は下らないだろう(無粋なことなので聞いたことはないが、少なくともリーマンショック前までは間違いない)。では、A君はどうしてそのような高額の報酬が得られるのだろうか?

 答えは実に簡単なことで、報酬に十分見合うだけの収益を会社にもたらしているからである。デスクとコンピューターを提供するだけで、10億円の収益を会社にもたらしてくれる社員に、2億円の報酬を与えることは企業として当然の行動である。逆に十分な待遇を企業が提供しなければ、彼は別の金融機関に転職してしまうだろう。

 さて2008年、サブプライム・ローン問題などから米国大手投資銀行のリーマン・ ブラザーズの危機が表面化したこと(リーマンショック)がきっかけとなり、連鎖的に多くの米国の大手金融機関が経営危機にひんするなど、金融不安が深刻化 した。その際政府は、これらの金融機関を破たんさせた場合の米国経済に与える影響の大きさから、中央銀行に国債や金融機関の持つ不良資産を買い取らせるな ど、実質的な税金投入ともいえる資本注入や損失保証を行うことで金融危機を乗り切ろうとした。
 しかし、米国の大手金融機関には高額の報酬を得ている社員や幹部が多いことから、このような税金の投入には国民からの批判が相次いだ。もちろん批判の対象となったのは、訳の分からない金融商品を作って売りまくった社員や、これらの社員を監督してきた幹部にあるわけで、A君のような債券トレーダーは関係ないのだが、話は一般化して金融機関の高額報酬に向いていたようだ。


 むかし、農耕社会においては、一人の人間の獲得する富はそれほどの乖離がなかった。例えば、米を作るために田んぼを耕す仕事をしたとしよう。勤勉で屈強な人間とそうでない人間との差は大きいとはいえ、彼らが耕す田んぼの面積の差はせいぜい2倍とか3倍という程度だろう。翻って、今日の高度情報化社会では、最先端の教育を受け、コンピューターという道具を高度に使いこなせるA君のような人間は、一般的な人間の100 倍いや1000倍の富を獲得することができる。同じように人的資本を労働市場に投資して労賃を得るのに、金融工学と情報技術が高度に発達した今日ではとてつもない差ができてしまっているのだ。もしこれをストレートに報酬に反映させれば、大きな怨嗟が社会に生じてしまい、このことは民主主義の根幹を揺るがしかねない事態となる危険性がある。
 そこで米国では、金融機関に対してリスクの高い金融商品を生み出せないように規制を掛けようとしたり、社員や幹部の報酬に制限を設けようとしているようだ。しかし、実質的に経済に国境はなくなっているから、人の能力に強烈な格差を生む今日の資本主義システムに目を向けず、 そのようなその場しのぎの対策をしたところで、企業や優秀な人材は、例えばシンガポールのような規制の緩やかな国に移ってしまうだろう。
 そしてそのこと は、産業の空洞化を招き、金融業に大きなウェートが掛かる米国の経済基盤を揺るがす危険性を生じせしめる。


 書いている本人も頭がこんがらかってきた。筆者は専門家でもないし、これ以上の議論は墓穴を掘りそう(笑)なので、まとめよう。
 サービス化が進展し、コンピューターなどによって高度に情報化された現代において、企業にとっての人材の価値の差は人類の歴史上最も大きく広がっている。言い換えれば、企業は商品やサービス、あるいは価格を競っているというよりも、優秀な人材の取り合いをしているのである。企業が提供する商品やサービス、価格の差は、人材の取り合いの結果生まれるに過ぎない のである。どうやって優秀な人材を確保し、そこで働くことに意義や価値を感じてもらうのか。
 中小零細企業は、報酬だけではない魅力を働く人たちに提供できなければ、企業の将来はいつも不安だらけだ。今月はこれだけ書くのにずいぶんと回り道をした(汗)。

株式会社鎌倉新書
代表取締役社長 清水祐孝