会長コラム“展望”

「仏教離れ」「寺離れ」の本質

2010/11/01

社会


「最近、檀家が寺に来なくなった。現代人の寺離れは嘆かわしい」

「最近のお客は良い商品を買わなくなった。仏教離れが原因だ」

これらは、お寺の住職や仏壇店の経営者からよく聞かされる話である。

では、彼らが嘆く、「仏教離れ」「寺離れ」は本当なのだろうか。

この問題を考えるときに重要なポイントはわが国の産業・社会構造の変化である。

以下、3点に絞って考えてみたい。

一番目は、世帯人員の減少である。

わが国における世帯人員は、1920年代から1955年ごろまではおおよそ5.0人であった。これが、1965年には4.05人となり、2007年には2.54人となっている。つまり、おおよそ半世紀の間に世帯人員は半減しているのである。大雑把に捉えれば、世帯人員が5人という時代は、親・子・孫の世代が一緒に暮らすという状況が珍しいものではなかったのだろう。本家の近くに分家の世帯が住むということも多く見られたように想像される。このような大家族は、後述する産業構造の変化などの理由で、どんどん減り、いまや核家族、単身世帯が社会の中心になってしまった。

異なる世代が、一緒に暮らさないということは、世代間のコミュニケーションが断絶することにつながるわけだから、家庭における伝統的な行事や習慣も引き継いでいくことが難しくなることは至極当然のことである。「日々、仏壇に手を合わせるシーン」や「お盆やお彼岸に家族で墓参りに行く習慣」を持つ家族の数は 年々減少していく中で、「仏教」や「寺」との接点はどんどん失われてきたわけだ。

次に、少子化という変化がある。

一人の女性が生涯に産む子どもの人数の平均である合計特殊出生率は、戦前は4〜5であり、戦後のベビーブーム期でも4.3〜4.5というものであった。それが、じわじわ減ってきて1950年代には3を割り込むようになり、1975年には2を割り込んだ。そして今、皆さんもご承知の通り社会問題化するほどの水準(1.3)になってしまった。

仮にベビーブーム期に生まれた4人の子ども(男女各2名)が、全員結婚し世帯を構成したとすれば、4つの世帯が生まれる。長男が本家を継ぎ、長女が他の家の本家の嫁になるというように考えると、差し引いて2つの新たな世帯が生まれたわけだ。彼らは、大家族のもとで伝統的な行事や習慣の下で育ってきた。そこに2人の子どもが生まれる。この子どもたちは、盆や正月に父母の実家(本家)に里帰りし、そこで仏壇に手を合わせたり、墓参りに行くことはあっても、自宅には(多くの場合)家族の誰かが亡くなるまで仏壇はないし、檀那寺もない。この世代で、日々の伝統的な習慣は、数年に一度の約束事にすり替わっているのだ。

最後に指摘しておきたいことが、産業構造の変化である。

戦前は、農林水産業中心の第一次産業に最も多く就業していた(昭和の初 期で約50%)。これが、1950年代からの高度成長期を境に大きく変化し、製造業中心の第二次産業、そして今日ではサービス業中心の第三次産業(約 70%)へと産業構造が大きく変化した。そのような過程で、人口は都市部に集中し、さらに交通網の発達もあり、人は住む場所を大きく変えることになった。

第一次産業が中心の時代とは異なり、私たちは生まれた場所で一生暮らすということが少なくなってしまった。お寺と檀家との関係、いわゆる檀家制度は人が生まれた場所で一生を過ごすということが前提となっていて、人の移動に対応したシステムにはなっていない。従って、仮に檀那寺がある世帯でも、住む場所を変えた時点でお寺との関係は実質的に切れてしまうのだ。そんな中で、いくら「寺離れ」を叫んでみても無駄な話である。そのような人たちは、世の中を農林水産業中心の社会に戻せ、とでも言うのであろうか?

このように「仏教離れ」「寺離れ」などと呼ばれるものは、このようなわが国における 産業・社会構造の変化がもたらしたものであり、その結果として、人の行動パターンが変わってしまったということなのである。人の心が変わったことを問題にするような言い方をされる場合があるが、全くの認識不足で、それは「要因」ではなく単なる「結果」である。

私たちは、社会構造というメガトレンドを変える ことはできない。メガトレンドは変わらない、変わるべきなのは住職や仏壇店の経営者なのである。


株式会社鎌倉新書

代表取締役社長 清水祐孝