会長コラム“展望”

偶然くん

2010/09/01

個人的価値観

変なタイトルだなと思われた方も多いでしょう。今月はちょっと私的なことを書かせていただきたいと思います。といっても、いつもそのようなことばかりといえばそうなんですが・・。

私は後に鎌倉新書を経営することになる父と、その妻である母との間に長男として生まれました。なぜこの父と母の子供になったのかは分かりません。
偶然です。

子供である私から見れば父は「お人好し」という言葉かぴったりの人です。「お人好し」という言葉には、「褒め言葉」と「貶し言葉」が両方まじりあったようなニュアンスがあるのですが、まさに父はそのような人で、とても良い人だとは思いますが、決してビジネスに向いているタイプではありません。経営者に向いていない人が、偶然にも経営に携わる役目を負ったとのが父の宿命でした。
いっぽうの母は美人で頭も良いのですが(いわゆる才色兼備というやつですね)、 ちょっと意地悪なところがたまにきずといった感じの女性です。家庭は決して裕福な方ではなく、中流の下の方といったところでしょうか。でも大学まではちゃんと行かせてもらいましたし、特段の困窮生活を強いられた記憶はありません、これも偶然です。

私の学生時代の成績は、さほど良いとは言えませんでしたが、当時希望していた大学の試験に偶然合格し、無事に卒業することができました。人は、学校歴で他人を評価するところがありますから、その点では多少得をしたのかもしれません、これまた偶然です。

学校を卒業し、数年のサラリーマン生活を経た後、鎌倉新書に入社することになりました。とはいえ、当時の鎌倉新書は社員3人の零細企業で、しかも全く儲かっていない会社でしたから、どうしてそんなところで働こうという気になったのか、よく思い出せません。これもまた偶然です。

鎌倉新書はもともと雑誌や書籍の出版を行う会社でしたが、私の入社後はマーケティング支援と称して、さまざまな商品の開発や、セミナーなどのサービスの提供を行ってきました。でも、どうしてそんなことを手掛けようと思いついたのか分かりません、偶然です。

またインターネットの草創期から、これを活用したサービスの提供を行っていこうと考えました。そこで、あちらこちらの勉強会に顔を出し、異業種の経営者と交流を持ってみたりしたのですが、どうしてインターネットをビジネスに活かそう、などと思ったかについてはよく分かりません、これまた偶然。
でも、インターネットもそれなりのビジネスになってきましたし、そういったことに長けた人材も集まってきました、偶然です。

こんなことばかり書くと「偶然ばかりではな く、多少は努力もしたでしょう?」と言われるかもしれませんが、仮に努力をしたとしても、それすら「偶然くん」がそうさせたに過ぎないと思っているので す。

現在、鎌倉新書は30名近くのメンバーが集い、生計を立てていますが、メンバーとの出会いも偶然なら、能力に乏しい私が経営する会社に多くの素晴らしいメンバーが力を貸してくれることも偶然だと思っています。

また、何年か前には自転車で事故を起こして鉄柱に激突し、肩の骨を折る大けがをしましたが、激突したのが頭ではなかったおかげで、こうして元気に原稿を書いています。偶然です。

このように私は、母親のお腹から出てきたときから今日に至るまで、自分の頭では理解できないこと〜これを偶然と書いてきましたが〜にコントロールされながら生きてきました。皆さんも、「不思議だなあ」と思ったり「目に見えない何かが作用している」と考える瞬間があると思います。

さて、このこと を「縁」と言う人もいます。また、「神さま(仏さま)のおかげ」という人もいます。そのほか、いろいろな人や対象のおかげだと考える人もいます。「イエズスさま」「阿弥陀さま」「お釈迦さま」「ご先祖さま」「特定の教団の教祖(中興の祖)」「金正日同志」「倫理の教え」などなど。

私の場合、 理解力に乏しいせいか、それが特定の教えのものであるとは理解することができないため、この目に見えない、自らの力の及ばない何かを、勝手に「偶然くん」 と命名しています。そして、いま会社の代表者として、また家庭における世帯主として何とかやってこられたのは、この「偶然くん」のお陰であると感謝してい ます。

さて、「偶然くん」の良いところは、特定の目的をもって組織された団体とは異なり、寄付の要求をしたり、仲間を連れてきなさいなどと は言わないところです。でも、タダ乗りはいけないと思うので、日ごろお世話になっている「偶然くん」へお返しがしたいとは考えています。ただし、どんなお返しをするかについては、個々に委ねられているというのが「偶然くん」の特徴でもあります。
先ほど「偶然くん」とは「縁」という言い方もできると書きましたが、縁とは人間と社会が織りなすものであるとするならば、やはり社会に対して何らかの役割を果たしていく、ということがお返しになるのかなと思っていま す。

とはいえ私はこれまで「偶然くん」の世話になるばかりで、お返しと言えることはほとんど何もしてきませんでした。そこでこれからは、多少は「偶然くん」にお返しができるようなことをしていきたいと考えています。
会社を通しての最大の社会貢献は、もちろん売上と利益(税)および雇用でありますから、そこには微力ながら頑張っていくとして、次に思いつくのは人の成長です。そこでこれからは、会社における役割の多くは「偶然くん」のお陰で出会った社員の皆さんにどんどん委ねていきたいと思います。そのほうが社員の皆さんにとっても「偶然くん」と出会えるチャンスも増えるわけですし…。
もちろん、彼らが出会うのが「仏さま」でも「イエズスさま」でも全く構わないのですが。また、同様の理由から子供を会社に入社させ、経営を引き継がせるつもりもありません。それは、子供にとって最初から「ある」という状況が「偶然くん」との出会いを阻害し、感謝しない人生を送ってしまうリスクを感じるからです。

誌面が尽きました、私的なことを長々と書き連ねましたが、「偶然くん」は便利な概念なので紹介させていただきました。お付き合いありがとうございました。    

 株式会社鎌倉新書
代表取締役社長 清水祐孝