会長コラム“展望”

後継者問題と魂入れ

2015/12/28

ビジネス

新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

「やっと、息子が継いでくれると言ってくれまして……」。さまざまな分野の経営者が集まる勉強会で、メンバーのある経営者がニコニコしながらそんなスピーチをしていた。そういえば周りの経営者も、その子どもたちが社会人となるような年代の人が増えてきた。無論、わたし自身もだんだん歳をとってきて、そんなことを考える時期が近づいてきている。というわけなのか、いろいろな集まりで「おたくはどうするの?」みたいなことを経営者仲間から聞かれることもある。そんな時の回答はいつも「子どもに引き継がせるような会社じゃあありませんから」と答えている。実際そう思っているし、子どもには自ら道を切り開いてほしいと思っている。「教育という投資は目いっぱいするけど、譲渡するものは何もない」。そんなスタンスを当人たちにも伝えている。


少し前のことだが、比較的大きな小売業の経営者から「○○エリアにもう一軒、店舗を出店しようと思うのだがどうだろうか?」と意見を求められたことがある。その理由を聞くと「さらに盤石な経営基盤をつくって、息子に引き継がせたい」という。わたしは、その考え方が良くないと思った。経営基盤を盤石にすればするほど、跡を継ぐ子どもは後々の経営の苦労を避けられることになる。でも社会や経済環境は常に変化していて、消費者のニーズもそれに伴って変化する。そんな中では、壁にぶち当たる、ストレスに苛まれる、プレッシャーに押しつぶされそうになる、といったことが跡継ぎには何より貴重な経験となる。


ところが自分がデキる親はそこに思いが至らないのだ。これは優秀な経営者の陥るわなのようなものなのだろう。


二代目が会社を潰す、などと言う。「お父さんは立派な方だったのにねえ」なんて。でも、優秀な初代が、二代目から経営者として必要な経験を奪ってしまっていることも多い。そう考えると実際は初代が潰しているのだという見方もできる。仮に運よく二代目が生き延びても、経営者として必要な経験が踏めないと、その次の世代がお祖父さんの築いた蓄積を台無しにしてしまうことになる。ということは、名家とかいったって結局は50年~100年ぐらいのレンジで栄枯盛衰を繰り返しているだけなのかもしれない。


冒頭の経営者の話に戻せば、会社を安心して任せられる後継者が見つからないとか、そもそも人材が集まらないとかいった課題があり、その解決を息子がしてくれたということなのだろう。わたしの場合は子どもを後継者にする予定はないし、人も見つけてこられるだろうと考えてはいるのだが、一点だけクリアしなくてはならないと考える問題がある(ここから先は分かる人にはわかる、分からない人にはわからないおはなしです)。


「人間」は神さまがつくった生き物であり、そこには生来の「魂」のようなものが備わっている(「エネルギー」と言ってもいい)。いっぽう「会社」は神さまではなく人間が考え出したもので、「魂」のようなものは存在しない。しかしながら、ひとつの生命体のように活動をする存在である。したがって「会社」にも、人間と同様に「魂」が必要だと思うのだ。そのためには、「魂」を注ぎ込む役割を担った存在が必要となる。もちろんそれが社長(オーナー)である。同様なものとして「国家」がある。これも人間が考え出したもので、「魂」は本来有していないが、生命体として存在するには「魂」を注ぎ込む存在がどうしても必要となる。そこで、その役割を天皇陛下が担うのだ。天皇陛下は政治や経済などの国家運営に携わる必要はない。この美しい日本という国土や国民の平和と繁栄が続くようひたすら祈るのだ。


会社においても事業の運営を担う人は見つけて来ることができても、会社の繁栄を祈り、魂を捧げる、もっと変な言い方をすれば生贄(いけにえ)のような存在を見つけてくるのは至難の業だ。そこで、そんな人材と巡り合えない場合のお鉢は親族に回ってくるというわけだ。


後継者不足が大きな問題となる今の日本で、M&A(企業買収)が増えていると聞くが、それが成功する確率は低いという。買収元の会社は、優秀な事業部長を買収先の新たな社長として送り込むが、なかなか上手くいかないのだ。それは送り込まれた人材の能力の問題でも、事業の補完性やシナジーの問題ではなく、取りも直さず「魂抜き」がされてしまった会社に対して、新たな「魂入れ」ができないということにあるのだと思う。中小・零細企業においては、優秀な人材を見つけることも難しいが、魂を捧げてくれる人材に巡り合うことはさらに難しい。

こんな考え方はヘンでしょうか?

株式会社 鎌倉新書

代表取締役社長 清水 祐孝