会長コラム“展望”

長年の蓄積

2016/03/28

ビジネス

大学のOBたちが集う、年に一度の大きな会合の幹事役を引き受けることになった。「大した負担はないから」という同級生からの誘いに乗ってしまったのだ。何でも卒業後10年、20年、30年が経過したOBが世話役となるのが慣例らしく、わたしの場合30年経過組ということらしい。そんなことがあったので、はじめて自分が社会人になって30年が経過したという当たり前の事実に気づいた。「そうか、30年経ったのだ」と。

というわけで、「いったい30年間自分は何をやってきたのだろう」と考えるいい機会ができた。わたしのキャリア(キャリアなんて呼べるほどのものではないが)は最初の4年間をサラリーマンとして過ごし、残りの26年を今の仕事に従事してきた。幸運だったと思うのは、証券会社のサラリーマンとしての期間だ。勉強をする習慣を持たない若造が強制的に日経新聞を取らされた上に、東洋経済、ダイヤモンド、日経ビジネスの経済雑誌の3点セットを自腹で購読させられた。


当時は安月給かつ娯楽に興じるお金の優先順位のほうが高かったから、新聞はやむを得ないとしても3つの雑誌はいささか負担であった。しかも、何が書いてあるか理解できる記事はほとんどない(そういえばダイヤモンドに当時連載されていた相田みつをの「人間だもの」という巻頭メッセージはとても良かった)。このような意識の若造だったので、貴重な投資は当初ほとんど無駄に終わっていた。

その後会社を辞めて、今の仕事に入ると経済ネタとはまったく縁遠い世界となった。


ところが、不思議なことに日経新聞はもとより、経済3誌の購読も止めなかった。なぜだか覚えてはいないのだが、少しは理解できる内容が増えてきておもしろくなってきたのだろう。英語の勉強なども「わからない、わからない」と思いながら諦めずに学んでいると、ある日、霧が晴れたようにわかる時がくるらしいのだが、それと同じ感覚だ。そんなことから30代の半ばからは、これらが段々と中毒化してくることになるのだが、これはわたしが勉強熱心ということを意味するわけではない。


芸能ネタが好きな人が『女性自身』を愛読するのと同じで、単に興味本位に過ぎないのだから。たとえば大手商社の特集記事を読みながら、「な〜んだ、最高に優秀な人材集めて、17兆円も資産使って3000億円しか利益が出ないんだ。2%でしか回っていないじゃん。うちの会社は25%で回ってるぞ」などとアホな想像を毎日巡らしているだけなのである。

そんなことをしながら結果的に、これらの新聞・雑誌を30年間読み続けてきたわけだが、ヒマに任せて読んだ分量がどれくらいになるのか計算してみたのが以下の表である。

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これはかなり適当な計算だが、結構な量だと知って我ながら驚いてしまった。これ以外にも読んできたものはたくさんあるわけで、そう思うと多少の自信にもなる。いっぽうで、長年の蓄積というものが重要なのだろうなということにも思いが至る。1枚の原稿用紙は薄っぺらなものだが、積み重なるとそれなりの高さになるということなのだ。30年間活字を通して、社会の変化、経済のアップダウン、経営のトレンド、技術の進化等々に楽しみながら触れてきた。わたしたちの会社がインターネットサービスに舵を切ったのも、そんな中からきっと思いついたのだろう。また、世の中で起こる多くのことには一定のパターンがあるもので、その認識が知識として蓄積されることもある。なので、会社の経営にも多少は役立っているに違いない。

わからないことや興味のないことも、続けているとどこかのタイミングでわかるようになる、好きになる。ということで、長年の蓄積ということの大切さを言ってみたかったわけであります。

株式会社 鎌倉新書

代表取締役社長 清水 祐孝