会長コラム“展望”

知的好奇心という生き方

2025/11/01

個人的価値観

知的好奇心という生き方

本稿は「展望」というタイトルで経済や経営、国際情勢や政治、あるいは世間を騒がせている事件など、さまざまなテーマに対しての感想や意見などを市井の経営者(=ド素人)の視点から書いてきたものだ。また、そんな中から培ってきた個人的な価値観についても恥ずかしげもなく綴ってきた。こんなことを、もう20年以上(実際には紙媒体のみの時代を含めると30年くらい)も毎月続けているのだが、最近は歳のせいで頭の回転も悪くなったのか、だんだん書くのがしんどくなってきた。それでも書き続けることができるのは、読んでくださった方からのメッセージが嬉しくて、励みにもなるからである。

メッセージの多くは好意的なもので、「新たな視点をありがとう」的なものが多いのだが、反対意見の人やつまらないと思う人はそもそもメッセージを送ってこないだろうから、好意的なものが多くなるのは当たり前のことだ。近年は個人投資家の方からいただくことも多くなった。目につくのは「あなたの意見やビジョンには賛同するけど、それより御社の株価を何とかしてよ」といったもので、そんな時は申し訳ない気持ちになる。業績はずっと右肩上がりで最高益を続けているのだけど、株価の方は以前に比べるとパッとしないのだ。企業の目指す未来を市場にしっかり伝えられていないのかもしれないし、目先の業績ももっと上げろってことなのかもしれない。きちんと対応していこうと思っている。

さて、このように自分が書いてきたことや、いただくメッセージを通して最近気づいたことがあるので、それを今回のテーマとしたい。「自らの強みが何か」ということだ。

本稿では経営についてたくさん書いてきた。わたしは父親から引き継いだ会社の業態を古い出版社からWEBメディアに変え、取り扱うテーマを仏教書から日本の高齢社会に変えた。インターネットが普及しはじめた20 世紀の終わりごろ、新たな情報伝達の手段の普及で出版の事業は将来が厳しくなるのではないかと考えたし、仏教書ではマーケットが小さすぎる。わが国の高齢社会をテーマとすれば、ここは伸び盛りだと考えたからだ。

おかげで会社は上場企業として成長を続けているけれど、わたしは優秀な経営者ということでは断じてない。ただ知的好奇心が旺盛で、学ぶこと、そして考えることが好きなだけだ。経営者としての資質を持っていたわけではなく、知的好奇心でもって経営に必要な資質を学び、最低限を補ったに過ぎない。

慈善について考えるようになったのは14年前に起こった東日本大震災がきっかけだ。あの時は、大きな災害が起こったときだけ盛り上がるボランティア、支援の輪が自分の目には奇異に映った。なぜなら、何らかの理不尽によってハンディキャップを負っていたり、物質的に困窮している人は普段から大勢いるはず、と思ったからだ。調べてみると日本はOECDに加盟する先進諸国の中で2番目に貧困率が高い国だと知った。そこで、普段から発生している身近な困難に対しての慈善事業を行う公益団体を設立し、これを細々と続けている。また、親と一緒に暮らすことができない児童養護施設と乳児院を経営する社会福祉法人の役員を務めている。でもわたしは、慈善家では断じてない。知的好奇心が旺盛で、目の前の出来事についていちいち考える習慣があったからこのような行動をとっただけだ。

経済や金融についても時折り書いてきた。専門書を読みあさるわけではないが、早朝の経済番組は欠かさず見るし、専門家のレポートを読んだり、日経新聞や複数の経済雑誌を読む習慣もある。なので、日本や米国の金利や為替、株価についての見通しを自分なりには持っている。でも、それらが的中するなんて思ってはいない。見通しを持つこと自体が好きなだけなのだ。わたしは優れた分析家や投資家ではなく、単に知的好奇心が旺盛で考えることが好きなド素人なのだ。

国内外の政治や国際情勢についても主観を綴ってきた。これも知的好奇心が旺盛で考えることが好きだからだ。でも、そうした分野の活動に身を置こうとか、持論を多くの人々に発信し影響を与えたいとは考えない。自らの主義主張に基づいて社会を変えようとしても、そのために必要な時間と、残りの人生の時間とが見合っていないと思うからだ。

世界を見渡せば少し前のようにダイバーシティや環境問題など未来重視の時代もあれば、現在のアメリカが変えてしまったように目先重視の時代もある。自分の意見はあるけれど、それも仕方がないことだと思っている。国内では目先のコメの価格を下げるよりも、財政の健全化や社会保障制度の改革のほうがよほど大事なテーマだと思っている。いつも書いているようにほとんどの人は目の前のことしか考えないし、短期と長期は常に対立するのだ。でも、社会にはさまざまな価値尺度があることは否定できないのだから、その中でバランスを取っていくしかないことも承知をしている。

ということで、どんなことに強みを持つのかってことを自己評価すれば、きっと「旺盛な知的好奇心」ということに尽きるのだろう。経営者として優れているわけではなく、立派な慈善家でもなく、専門性の高い投資家とか評論家でもない。ただ、いろんなことに興味を持ち、考える、そしてたまには動いてみる。そうした特性があるってことなのだ。

そんな特性を持つ自分が還暦を過ぎる(現在62歳)と、最大の好奇心の対象は残りの人生をどう過ごすかってことになる。「生きがい」ってやつだ。最近は人生100年時代なんて言われることも多くなったが、わたしは「ただ生きる」ことと「良く生きる」ことは異なると思っている。医療や社会福祉の恩恵にどっぷり浸かって生きることになるであろう終末期は自らの人生の対象外として、その手前の時間をどのようにして「良く生きる」かを考えることが大切だと思うのだ。

結論は、自らの特性である「知的好奇心」を満たせる環境に常に身を置くことってことだ。良い人と出会い、良い考えに学び、自らが考え続ける。残りの時間は希少だから、そんな場所に身を置きながら余生を過ごしていきたいと思っている。

株式会社鎌倉新書
代表取締役会長CEO 清水祐孝

画像素材:PIXTA