2025/12/01
社会
わたしたちの会社は事業領域をわが国の高齢社会と定め、介護関連の事業にも取り組んでいる。しかし、これまで個人的には「介護」をリアルな問題として体験したことがなかった。
11年前に亡くなった父は、要介護状態になることもなく病気の進行とともに少しずつ衰弱し、半年ほどの入院生活を経て亡くなった。それから長い年月がたち、父を支えていた母の介護問題が現実のものになるとは、ほんの少し前まで想像もしていなかった。介護問題といっても深刻なケースではないが、身近な体験として、今回は母のことを書かせてもらいたい。
父が亡くなった後も、母は元気に暮らしていた。ダンスや俳句、カラオケなど、同世代の仲間たちと楽しく過ごす毎日だった。しかし、新型コロナウイルスがその生活を一変させた。外出が制限され、それらのコミュニティは休眠を余儀なくされてしまい、仲間との交流が途絶えてしまったのだ。
その後の数年にわたるコロナ期間中にコミュニティの中心だった人が亡くなったり、病気になったりといったことも起こったという。何年か前には感染症法上の位置づけが「5類相当」に移行し、社会的には終息を迎えたが、結局、母が所属していたコミュニティはほぼ再開しなかった。
80歳を過ぎてから新しいコミュニティに加わるのは容易ではない。それからさらに2年が過ぎ、人的な交流の機会がほとんどなくなった母は、人と話すことも外出することも少なくなり、だんだん考えることを面倒がるようになっていった。食への意欲も次第に減退し、体重も少しずつ減っていった。幸い、今のところ認知機能の低下は軽度で、日常生活に大きな支障はない。しかし、放っておけば状態は徐々に悪化していくのではないかという不安もある。
こうした母の様子は身近で暮らす妹からの報告で知ったのだが、彼女も仕事をしているため、すべての時間を母のために充てるわけにはいかない。わたし自身も遠方に住んでおり、十分に支えることが難しい。そこで、母には妹共々わたしの自宅の近くに引っ越してもらうことにした。
身近でいろいろと観察するようになって、ポイントは3つだと考えた。人との交流を通したコミュニケーションの機会を増やすこと。外出する機会を増やして体力をつけること。食事をしっかりしてもらうこと。この3つが保たれれば、大病を患っているわけでもないのでまだまだ元気に長生きしてくれるだろう。面倒は増えたが、母への恩返しだと思えばたいしたことではない。わたしを生み、育て、守ってくれた母親に、今度はわたしができる限りのことをしたいと思っている。
さて、こうした思いは、あくまで個人的な感情に基づくものだ。しかし、親子という関係から離れて社会的に客観的な視点で見ると、別の視点が浮かび上がる。母は、わたしのような家族の支援だけでなく、医療制度や社会保障制度を通して「社会」からの支援も受けている存在なのだ。母のような人たちに対する社会の負担が軽ければ良いのだが、これが限度を超えて重くなるのであれば、こうした課題をどう取り扱うかをわたしたちは議論しなくてはならない。
介護を必要とする高齢者は今後も増え続け、介護期間も長期化している。いっぽうで、生産年齢人口は減少の一途をたどっている。現役世代に頼るだけの仕組みには、もはや無理が生じているのだ。
個人としての思いと社会の一員としての考えとは、時に異なる。長生きできる社会は素晴らしいが、「元気な長生き」と「元気を失った長生き」をどう扱うか——。その線引きは難しく、正解はないかもしれない。それでも、わたしたちはこのテーマから目を背けず、議論を重ねていく必要がある。子供や孫たち、未来にツケを回さない、回してはならないという個人を少しづつでも増やして、コンセンサスの醸成を時間をかけてでもやっていかなくてはならない。
「ぴんぴんコロリPPK)」は理想であるが、現実には難しい。わたしが直面した光景は、将来必ず自分事となるわけだし、母親からの学びを自らに活かせるよう、よく考えて生きていかなくてはね。
株式会社鎌倉新書
代表取締役会長CEO 清水祐孝
画像素材:PIXTA