会長コラム“展望”

政治とカネのほんとの関係

2024/06/01

個人的価値観

政治とカネのほんとの関係

政治の世界では、自民党の一部の派閥の政治団体がパーティーから得た収入を適切に処理していなかったことから始まった、一連の問題が長く続いている。先日行われた衆議院の補欠選挙では、この問題の影響により3つの選挙区すべてで自民党が議席を失ったことは記憶に新しい。現在、岸田政権では国民の政治不信を払拭すべく、対策の検討を急いでいるようだ。もちろん「政治とカネ」に関する不透明性をなくすことは大切なことなのだろうが、報道や議論を聞く限りでは本質的な問題が提起されていないようにも感じるので、そのあたりについて邪推を含めて少し。

政治資金パーティーには私も参加したことがある ので、その光景は簡単に思い浮かべることができる。たくさんの参加者がホテルの大宴会場に集まっていて、そこで議員の挨拶や短めの講演などが行われる。時間は全部で1時間程度。お弁当や簡素な立食形式で食事がだされたり、あるいはない場合もある。まあ、お金をかけていないことは誰だってわかる。パーティー券は1枚 2万円だが、参加者から見ればその内訳は参加費が5000円で寄付が1万5000 円、主催者から見れば費用が5000円で手残りが1万5000円、ざっくりそんな催しだ。

このように、派閥のパーティーは支援者をねぎらうものでも、政治活動の成果報告でもなく、その名の通り政治資金集めを目的とした活動であることは周知の事実である。次に、集まった資金は派閥のポケットに入るわけだが、派閥という団体としての活動に必要な額はある程度わかっている。なので、それを超えた部分については資金集めに協力した所属議員に戻して、彼らの活動のために使ってもらおうというのが趣旨なのだろう。

ところがなぜか、これらの資金が派閥に入っていなかったことにしたり、議員側に還流させたことにしなかったり、議員側も入ったことにしなかったりしていて、これが大きな問題となっている。例えば、ラーメン屋(法人)が1日300杯のラーメンを売っていたが、それを200杯しか売っていませんでした、ということにする。そして100杯分は店主(個人)がポケットに入れてしまう。法人は100杯分の売り上げを申告せずに済ませ、個人は100杯分の収入を申告せずに済ませました、ということとほぼ同義である。だから、議員という身分が特権階級でもない限りは許されないということになるのは当たり前の話。なので、こうした行為に手を染めた人たちは、適切に罰を受けるというのも当然の話。そんなわけで、起訴される人、議員辞職を迫られる人、離党を勧告される人など、罰を受けた人たちがいる。一方で、手を染めたけれども、そのタイミングでの役割が首謀者から遠かったり、金額が少額だったりして、処分を免れた人までいるものだから、そこは火種が残っているような感じがありありだ。「同じ動機で手を染めた仲間なのに、なんで俺だけこんな目に遭わないといけないのだ」という声が聞こえてきそうだ。

そう、大切なことはその「動機」なのだ。つまり「表に出したくないお金がどうして必要だったのか」ということ。不正に手を染める行動をなくすのではなく、不正に手を染める動機をなくさない限り、政治資金の取り扱いルールを変更したところで、別の方法で不正は必ずまた起こるのである。ではその「動機」とはいったいなんなのだろう。よりよい政治を行うための調査や研究の費用ってことでは当然ない。そんなお金は表に出せる。

さて、ここからは邪推である。きっと議員はこうしたお金で個人的な蓄財に走っているということもないように思う。生活費にあてている可能性も低い。そんな動機だったら、表に出して所得とすればよいからだ。そこで考えられるのは、次の選挙で選ばれるための活動資金である。議員という職業はサラリーマンや公務員とは違って、採用面接や試験で選ばれるわけではなく、選挙民の投票によって選ばれる。いわばハイリスクハイリターン型の職業選択である。選挙で選ばれなければ、基本的にプータローである。プータローになりたくなければ、ライバルに打ち勝ち当選しなくてはならない。そのためには選挙民からの票を得ることだ。なので、選挙民に自分に投票してもらえるように働きかけなくてはならない。そこで街頭演説をする、戸別訪問をする、集会に出かける、冠婚葬祭に参列する、などの地道な活動を行う。だけど、これって面倒なわりには、長期間続けなければなかなか効果は出ない。空調の整った永田町の事務所で政策について研究をしたり議論をしたりしていたほうが、知的好奇心も満たされる、議員は基本的にインテリ、泥臭いことはやりたくないのだ。では、どうすれば効率的に票を得られるのだろうか。

ここで、県議会議員や市議会議員といった地方議員の登場となる。選挙民を顧客だと考えれば、彼らは国会議員と同じエリアに営業基盤を持つわけなのだから、東京からわざわざ出向くこともなく、地元にいる彼らに営業活動はやってもらえば効率的なわけだ。そして彼らの持つ営業網のメッシュは細かいわけで、国会議員がリーチできないところも網羅することができる。こうして、国会議員は地方議員に営業代行を依頼する動機が存在する。そして、営業を代行してもらうためには、活動費を負担してあげないといけないが「何に使ったの、領収書ちょうだいよ」、などとは言えない。つまり自由な裁量で使ってもらう資金が必要なのだ。以上は邪推ではあるが、当たらずとも遠からずといったところだろう。「政治にはお金がかかる」というが、その実は政策を実行するためにお金がかかるのではなく、「議員という職業を得ること、それを維持すること」ここにお金がかかるのだ。

現在、政治資金規正法の改正について与野党間で議論されている。だけど、不正や不透明なことが起こらないためには、お金の取り扱いに関する法律を変える前に、それを行う動機を明らかにしなくちゃならないはずだ。ここが掘り下げられないのは何故なのだろうか。マスコミや国民のレベルが低さか。次に明確にすべきは、政治にお金がかかるという意味である。お金は政策の立案や実行にではなく、議員という職業を得たり、それを維持したりするために必要なのだ。最後に、国民はよってたかって自民党を批判するけれど、彼らを選んだのも私たちであることも忘れちゃいけませんね。そこを認識しないといつまで経っても政治が良くならないのでは?


株式会社鎌倉新書
代表取締役会長CEO 清水祐孝