会長コラム“展望”

終活ビジネス

2016/08/31

ビジネス

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高齢社会が進展する中で、いわゆる「終活」なる言葉が市民権を得た感がある。

以前であれば、説明しなくては何を意味しているのか理解してもらえなかったが、最近はというと、「終わりのほうの終活ね」などとほとんどの人が応えてくれる。

相続や葬儀、お墓などについて事前に考える、あるいは行動するということを指している用語なのだが、これほど短期間で浸透するとは時代の変化の速さを改めて感じたりする。

テレビや新聞等のマスコミでこのようなテーマが取り上げられることも多くなった。

わが国の人口構造では高齢者の比率は年々高まっているわけだし、何より若い人はテレビを見たり新聞を読んだりしなくなっているのだから、これらの視聴者、読者はさらに高齢者比率が高いのである。そう考えると当たり前なのかもしれない。

終活をテーマにしたセミナーも花盛りだ。

証券会社や保険会社などの金融機関や、介護施設など高齢者層をターゲットとする事業者が集客をするには最適なテーマなのだ。仕事や子育てから離れ、自由な時間がたくさんある高齢者たちは、将来必ず必要になるからとセミナーにやってくる。終活ビジネスはさぞかし盛り上がっているのだろうと門外の人たちは思っているだろう。

ところが、関心の高まりとは裏腹にビジネスとしてはそれほど高まりを見せているわけではない。

例えば相続のセミナーをすれば「ぼちぼち考えなくてはいけない」とばかりに高齢者がどっと押しかけてくる。専門家は見込み客を前に熱弁を振るうが、多くの参加者はセミナーが終了すると無言のまま帰ってしまう。具体的な質問をする参加者も少しはいるが、「詳しくは後日、ご自宅にお邪魔して相談しましょう……」などと身を乗り出す専門家に対して「いやいや、ちょっと聞きたかっただけですから」とにべもない。このことは、葬儀やお墓等のテーマでも大同小異である。

カラクリは簡単なことである。

終活はすべからく「心配だから知っておきたい」けれど「別に今日決めなくてもいい」ということなのである。

「歳もとってきたし、そろそろ相続のことを決めておかなくてはいけないなあ。でも、締め切りがあるわけではないからそのうちに手を付けよう」などと考え、セミナーを聞いただけで思考を停止してしまう。ところが、そのうちにとは思っている人も、病気などで意思決定ができなくなる日は突然やってくる。

この構造に似たものが生命保険だ。営業マンに「あなたに万が一のことがあったら、ご家族のことが心配ではありませんか」と言われれば、「それは、心配だよなあ」となる。でも「じゃあ、生命保険に入りませんか」と言われれば、「う~ん、考えときます」と返答してしまう。

こういったものはファッションアイテムや自動車などとは異なり、必要性(ニーズ)は感じるけど、購買欲(ウォンツ)にはならないのだ。だから保険はセールスレディやフィナンシャルプランナーが営業力と人海戦術で売ることになるのだ。終活も保険と同様である。自分が死んだ先に何を買うかなんてことは、全然ワクワクしない。ニーズはあってもウォンツがない。だから先延ばしになり、結果的には事が起こって(亡くなって)から遺された人たちがバタバタと決めることになるのである。

もちろん近年では、保険が来店型で店舗販売が可能になってきたように、終活も自らが早めの意思決定をするケースも少しづつ増えてきた。とは言っても、これは想定される終活の莫大なマーケットからすれば、その比率はごく僅かに過ぎない。

では、終活を大きなビジネスにすることは不可能なのか。

わたしはそうではないと思っていて、これこそがとてもワクワクするチャレンジだと思っている。そのヒントは(あまり言いたくはないが)ニーズをウォンツに変えられるか、に尽きる。これを実現した事業者は終活というこの莫大なマーケットを総取りするに違いない。

わが国の個人金融資産の多くを高齢者層が握っている。この層の消費を活発にするという意味でも、とても有意義な社会貢献チャレンジでもあるのだ。

株式会社鎌倉新書 代表取締役社長

清水 祐孝