会長コラム“展望”

「働き方改革」もいいけれど

2018/04/01

組織

ITサービスの企業ってのは人材が最重要の経営資源であることは言うまでもない。当然のことながら、政府が進めようとしている「働き方改革」に関する議論には関心を持たざるを得ないわけではある。ところが最近は森友学園の問題が紛糾しきて、なんだかそれどころじゃあなくなりそうな気配になってきたが。


別に政府に言われなくとも、優秀な人材がやる気を出して働く環境をつくり出すことで差異を生み出すことが、事業で差異を生み出すことと同じくらい重要なテーマだと考えているので、彼らそれぞれの価値観や人生設計にできるだけ配慮した働き方と、(働く人たちの所得の原資となる)企業収益の拡大をどのようにして両立させるかを考え続けているつもりではある。


なので、お上主導のお節介に対しては「放っておいたらいいのじゃあないの」というのが正直なところだが、いっぽうで「わたしたちはどのように働くべきか」について社会のさまざまな立場の人たちが考える、あるいは議論すること自体は悪い話ではないとも思う。現在、政治の舞台を中心として議論されている働き方改革については、たくさんのマスコミ報道もあるし、ネット上を巡回でもすれば専門家を含めてさまざまな意見にも接することができる。というわけで働き方改革についてはそちらで勉強していただくとして、今回はそれに関連して、以前に書かせていただいた拙文を引用することでお茶を濁しておこう。数年前にブラック企業なるワードが流行語となっていたころに書いたものだ。もちろんわたしはブラック企業を礼讃するつもりはない。だが社会人となった若い人たちが成長するには適切なストレッチも必要であり、ブラック企業を叩いて喜んでいるマスコミや世論なんかに単純に与しちゃあいけませんよ、ということが言いたかったわけだ。今月はわたしたちの会社にも新卒社員も入ってくるので、彼らへのメッセージにもなればいいなあ。


 3つの幸運(2015年8月 会長コラム“展望”より引用)

 先般の三連休の最終日、外資系の金融機関に今年就職した若者と食事をする機会があった。何でも連休中はずっと仕事をしていたそうで、ろくなもの食べていなかったし、酒も飲めなかったとのこと。嬉しそうに安酒を飲み、安い肉を貪るように食べていた。

 

 彼の勤める部門は相当にハードなところらしく、新人の間はなかなか休めないのだという。ふだんの日もほとんど終電近くまで仕事があるので、会社の近くにマンションを借りているのだという。「最近はやりのブラック企業じゃない?」などと思って聞いていたが、当の本人からはそんな愚痴は全く聞かされない。むしろ彼の口から発せられるのは「勉強ですから」「修行の身ですから」という言葉だ。(もちろん、企業が法令を順守するのは当然のこと、彼の会社もそこはきちんと対応しているのだろう)。


 彼の話を聞きながら、マスコミでよくニュースになっているブラック企業との違いがどこにあるのだろうなどと考えてみた。長時間労働によって本来はプライベートであるはずの時間を企業が侵食しているというのは同じだが、いっぽうは知識集約型のビジネスで、仕事を通して知識や知恵やノウハウが働く本人に溜まっていく。かたや労働集約型のビジネス、単純作業の繰り返しで根性は身につくかもしれないが、働く人にとって将来必要になってくるであろう知識や知恵やノウハウが蓄積されるわけではおそらくない。

 

 本来は両者の違いをきっちり分けて考えなくてはいけないのだが、マスコミの報道はどうしてもセンセーショナルに大衆の興味関心を煽り立てりばかりで、思考の深堀はしてくれない。そして「ブラック企業」という一括りにされた表層的な報道の影響を受ける多くの人は、知恵や知識やノウハウの蓄積のためのストレッチという、若いうちしかできない特権を忌み嫌ってしまう危険性を生む。実際には、そのことが凡庸な人生を歩むことに繋がってしまうことになると知ることもなく……。

 

 今日の多くの仕事は知識集約型のものであり、そこで働く人たちには知識や知恵やノウハウの蓄積という、月給やボーナス以外の産物がありますよってこと。前述の若者の例で言えば、彼は会社から給与を貰いつつ、自らの将来に向けた投資も並行して行っているのだ。彼は今の投資から得られる対価を今は受け取っていなくても、例えば30代以降に受け取ることになる(確実とは言えないが、そういう考え方が重要ってこと)。


 東京大学の合格を夢見る高校生が、毎日18時間興味のない領域の勉強を続けても、そこまでしないと若者の夢を叶えてやらない東大をブラックだという人はいない。スポーツの世界でも同様だ。野球界のスーパースターである王貞治さんは若い頃、試合が終わったあとコーチの自宅で毎日夜中まで素振りをしていたのは有名な話。王さんにとって野球は仕事だから、自主的に深夜残業を重ねていたわけだが、この普通の人にはなかなかできない努力の継続が、世界のスーパースターを生んだ要因でもある。


 自らの進むべき道に意義を見出した人にとって、自己への投資を何時間行おうが余計なお世話なのである。


  以上の話から、重要な教訓が導き出される。

  • 進むべき道が決められるという幸運
  • その道で目標や夢を持てるという幸運
  • 若いうちにストレッチをかけられるという幸運


 この3つの幸運が揃ったとき、その人の人生はブレイクする。よってこれらの幸運が得られるか否かが大切ってことだ。「進む道は決まった、目標もできた」という人でも、最後の「そのためのストレッチ(努力)ができた」という人はそう多くない。みんなできれば楽をしたいから、王さんみたいに自主的にストレッチをかけ続けられる人は稀有なのだ。

 

 そんな中で、冒頭の若者は会社という外的な力を利用してストレッチをかけるという幸運を得られたわけで、だから彼の口から出てくる言葉が、「勉強ですから」「修行の身ですから」となるのだ。しかしこれは特殊な事例で、自らの都合でブラックになる会社はあっても、社員のストレッチのためにブラックになってくれる会社はない。

  3つの幸運が多くの社員に訪れるための手助けを、ブラックにならずに成し遂げることがエクセレントカンパニーへの道だと思ったりしている。

株式会社鎌倉新書

代表取締役会長 清水祐孝