会長コラム“展望”

何がボトルネックとなっているのか?

2021/06/01

ビジネス

何がボトルネックとなっているのか?

イギリス53.20%、アメリカ46.42%、カナダ43.36%、ドイツ36.32%、イタリア30.46%、フランス28.56%………日本3.18%。この数字、とりもなおさずG 7(先進7 か国)構成国のワクチン接種をした人の割合だ(5 月16日更新のもの)。これだけ他の先進諸国に遅れてしまう事態には意外感があったし、多くの国民も同じ感想だろう。わが国は世界有数の経済大国であり、医療体制も充実した国のはずなのだから。ちなみに先進国ではなくアジアというカテゴリーでも、日本の接種率は惨憺たる状況だ。中国や韓国は言うに及ばず、インドネシアやバングラディシュにも及ばない。世界中の人々が集まる予定のオリンピックという国際的なイベントの開催を控えている国とはとても思えないような状況を国際社会にさらけ出している。


「ワクチン敗戦」などと揶揄される状況に陥ってしまった要因は、どうやらワクチンの確保ができなかったことにあるのではなく、これらをいかに流通させ、可能な限り多くの国民にスピーディーに接種させるかというところにあった。モノの確保ではなくその流通がボトルネックだったのだ。ここに気がつくのが遅かったのか、あるいはわかってはいたが様々な障壁がスピーディーな接種体制を阻んだのかはよくわからない。だが、いずれにせよ問題解消のための「ボトルネックがどこに存在するのか」という点を見落としていたことが、大きな失敗を招いた要因だろう。すでに起こってしまった事実を変えることはできないし、批判ばかりも建設的ではない。けれど資金がないわけでも、医療体制が貧困なわけでもないわが国が、なぜこのような事態に陥ってしまったのかを検証することは極めて重要で、「意思決定の仕組み」「組織構造」「リーダーシップ」に加え「国民性」等々が複雑に絡み合うわが国の抱える構造的な問題点があるのだろうと個人的には想像している。


「どこがボトルネックになっているのか」「何が過剰で、何が過少なのか」

これが今回のテーマ。わたしはこのような視点から物事を見る習性がある。例えば、人気の高級レストランの予約がなかなか取れないと聞くと、大枚をはたいてでもおいしい料理が食べたいという顧客が過剰なのに対して、優れた料理人が過少なんだなと考えるし、ブランド力のある高級ウイスキーやワインの価格が上がり続けているのを見てもそんな見方をしてしまう。株式や仮想通貨のマーケットが活況を呈しているのも、投資マネーの増加に対して投資対象の供給が過少で、そのバランスが取れていないから起こっている、と思っている。最近になって騒がれている世界的な半導体不足についても、ボトルネックとなる部分を握っているのはどのプレーヤーなのか、なんて想像しながらニュースを読むクセがある。


わたしたちの会社が取り組んでいるビジネスの領域でもそんなことを考えながらやってきた。過去においては、葬儀やお墓等を必要としているユーザーにとっては効率的な情報収集がボトルネックになっていたので、インターネットを活用してそこを解消することでビジネスが成立するのではないかと考えた。その後、このボトルネックが次第に解消されると、次なるボトルネックはユーザーサイドの視点に立ったサービスの供給だった。ボトルネックが解消されれば、そこに安住してはいけない、わたしはいつもそのように考える。なぜなら、大きなボトルネックの存在する領域には大きなビジネスチャンスがあるわけだが、そこには次第に競合が参入し、差異はだんだん埋められていくのが常だから。そうなってしまった領域では供給が過剰となり、収益性が過少となる。ビジネスとしての可能性は棄損され、価格競争の世界に陥る。いつもそんなことばかり考えてきた。


そんな視点からわが国の社会を眺めていると、わたしたちの事業の間近で解消されていないボトルネックが存在していることに気づく。それがますます進展する高齢社会における「終活」の領域だ。いま、「終活」には莫大なボトルネックが発生している。高齢社会の進展と家族関係の変化が需要を年々拡大させているいっぽうで、効率的な情報収集や、ユーザー視点、あるいは複数の領域にまたがる課題に対するサービスはほとんど提供されていない。過剰なユーザーのニーズに対して、適切な情報、適切なサービスの提供は圧倒的に過少なのだ。


この大きな社会課題=ボトルネックの解消こそがわたしたちの推し進めるビジネスであり、社会貢献である。前述のように、わたしたちはこの状況には既視感があるので、自信をもって事を進めていくことができる、そのように考えている。


株式会社鎌倉新書
代表取締役会長 CEO 清水祐孝