会長コラム“展望”

変わる消費者、変わらぬ事業者

2013/03/31

ビジネス


「看取りと樹木葬をお願いできる先を紹介していただけないでしょうか」。

先日、とある旅行会社から講師を依頼されたセミナーで、終了後にひとりの参加者からこのような相談を受けた。70代とお見受けしたその女性は、聞くところによると若い時分に離婚を経験し、その後は独身を通してきたために自分の面倒を見てもらえる、跡を継いでくれる家族がいないのだという。その上、親せきとの交流もないため、今は元気であるのだが、いざというときのために「自宅での看取り」のサービスを提供してくれる組織、そして都心で「樹木葬」を提供している霊園や寺院を教えて欲しいのだという。

昭和の終わりごろまでは、家族が4人という世帯がわが国において最も多く、この4人家族は標準世帯と呼ばれていた。父、母、子ども2人という構成が一般的なものだろう。この時、最年長者(つまり、死期が家族で最も早い可能性が高い)である父は「貯金は残しておいたから、自分が死んだ後のことはよろしく頼む」と言って、つまり葬儀をどうするのか、あるいは仏壇やお墓をどうするのか等々のことについて何も決めずに死ぬことができた。そのようなこと(つまり自分が死んでしまうこと)については、必然とはいえ考えたくもないし先送りしてしまおう、という態度が一般的だった。

ところが今日では、単身世帯と夫婦のみ世帯が急激な勢いで増え、4人家族は少数派となり標準世帯とはとても言えなくなってしまった。代わりに現代の標準世帯は、単身や夫婦のみの世帯である。このような世帯では、仮にいくら貯金があったとしても「自分の死んだ後のことはよろしく頼む」とは言えない。従って、当然のことながら死んだ後のことも自らが決めなくてはならないのだ。このことが、冒頭の女性の言葉につながっている。

彼女は「看取り」と「樹木葬」という一見全く相関がない2つのテーマを一緒に持ち出した。しかし、相関がないと考えるのは供給者側の論理であり、彼女の頭の中では「死期が近づきつつある高齢者が考えておかなくてならないこと」という文脈できっちりとつながっている。つまり、これからの時代は生きている期間に受けるサービス、例えば「介護」「成年後見」「看取り」「相続」「遺言」などと、死んだ後のことで受けるサービスや購入するモノ、例えば「葬儀」「仏壇」「お墓」などを生きている間に一緒くたに考え、購入の意思決定する時代になってくるのだ。

この女性の場合は「看取り」が必要になると考えたタイミングで、死後のことはどうするのだろうと連想し、そして前述のようなお墓を継承してくれる身内がいないという状況から、「樹木葬」についての情報収集という意志を持つに至った。今後も高齢化が一層進展するわが国においては、彼女のような高齢者がこれからはどんどん増えてくるのだ。


このことは、サービスの供給者たる葬儀社から見ると、生前に葬儀サービスの購入について意思決定済みなのであるから、死んだ後に口を開けて待っていてもお客さんは来ないよ、ということを意味する。

葬儀社は長年、死後の一瞬のタイミングにフォーカスしてマーケティング活動を行ってきた。その最もベタなものが今は少なくなった病院営業である。もちろん、例外として互助会に代表されるような会員制度もあることはあるが、それも死後の一瞬のタイミングで意識してもらうための戦術であった。しかし、徐々にではあるが、その戦術にハマる消費者は減ってくる。もちろん、葬儀の小規模化という傾向は止むことはないから、その面でも厳しい状況は続くだろう。このような厳しいトレンドを打開しようと思えば、高齢者の生前の意思決定にどのようにして介入するかがポイントになる。単純に考えれば、生前に受けるサービスである、「介護」「成年後見」「看取り」「相続」「遺言」に乗り出すことだが、それは容易ではない。しかし、何らかの形でこれらの分野とのつながりをつくっておく必要があるだろう。

葬儀社は「葬儀」という一瞬のイベントのサービス提供業から、「葬儀」を中心としたその前後のサービス提供業という視点を持たない限り、中長期的なビジネスの発展は容易ではないわけだ。


株式会社 鎌倉新書

代表取締役 清水祐孝