会長コラム“展望”

当事者の論理と第三者の論理

2024/01/01

個人的価値観

当事者の論理と第三者の論理

2023年10月、パレスチナの解放を訴えるイスラム組織ハマスによる突然のイスラエル攻撃により両者の交戦が始まった。当初の世論は仕掛けた側であるハマスの武力行使に対する非難が圧倒的のようであった。伝えられていた報道はイスラエルを支援するものがほとんど、民間人の誘拐もあり第三者である世界の多くの人々は「ハマスが悪い」と判断した。ところが、イスラエルの軍事力はそもそも強力で、ハマスのそれとは段違いである。次第にパレスチナ自治区ガザでハマスに対する徹底的な攻撃を仕掛けてくるようになった。もちろんイスラエル側も罪のない人々に危害を加えるつもりはないのだが、自身の危険もある中で敵だけをピンポイントで攻撃するのは難しいのだろう、結果的に多くのガザ地区に住む民間人が犠牲となっているようだ。そして戦況はイスラエルの圧倒的優位の中、ネタニヤフ首相はハマスを壊滅させるまで手を緩めるつもりはない、といった調子で現在に至っている。イスラエル軍によってあちらこちらで建物が破壊され、人々の命が危険に晒される映像が毎日のようにわたしたちの目に飛び込んでくる。こうなってくると、世界の数多くの第三者(=情報が不十分な状況にある人)による判断は変わってくる、これはやり過ぎ「イスラエルが悪い」のではないかと。


時間軸の取り方で、第三者の判断はころころ変わることがわかる。

戦闘が始まった2023年10月7日から数日という時間軸→ハマス(パレスチナ側)が悪い
その後の数か月という時間軸→イスラエルが悪い


おおよそこんな感じか。

次に、そもそもパレスチナとイスラエルがどうして対立しているのってことに目を向けてみる。そこには人種間の国土をめぐる対立の歴史がある。100年という時間軸でみるとアラブ人が暮らす土地にユダヤ人が割って入ってきた上に、先住の人たちを追い出そうとしているように第三者には思えるのかも知れない。いっぽうで時間軸をぐっと伸ばして2000年にしてみよう。遠い昔のその時代、この地にはユダヤ人が住んでいたようで、そのように考えるともとの土地に戻ってきているだけだという見方も可能となる。


そうするとこれまた時間軸の取り方で、第三者の判断は変わるわけだ。

100年という時間軸→ユダヤ人が悪い
2000年という時間軸→アラブ人が悪い


深刻な歴史問題をこんなに大雑把に切り分けてしまうことは問題かもしれないが、言いたいことはパレスチナとイスラエルの紛争のことではなく、本稿のテーマは第三者の判断は時間軸の取り方でころころ変わるってことだ。


ロシアとウクライナの戦争にしても同様で、おそらく両国間には当事者にしか理解できない歴史的な経緯が横たわっているのだろうし、その歴史もどこまで遡るかによって第三者の判断は変わるのかもしれない。この何年かだけを見るとプーチンが悪いってことになるのは自明だが、いっぽうで当事者いっぽうの論理を丸呑みしてしまうのはどうかと思うのだ。勉強もしていないくせに、歴史問題に深入りするのはやめておこう。テーマは第三者の判断は時間軸で変わるってことなわけだし。


米中の対立にしても当事者と第三者の視点は異なって当然ではないだろうか。なのに、当事者のどちらかの論理に盲目的に追随するのが日本の相変わらずの行動パターンのようだ。当事者の論理は白か黒になるのは当たり前として、第三者の論理はグレーで何が悪いのかなと私は思ってしまう。米中対立において米国と同じ論理を持つことで背負わなくてはならない日本のリスクは、地理的にも遠く国家のパワーが強大な米国とは大きく異なるはずなわけだし。インドのモディ首相を見習えとは言わないが、当事者の判断と第三者のそれとは差異がある、という当たり前の認識を持つところからスタートすることが大切な気がする。


株式会社鎌倉新書
代表取締役会長CEO 清水祐孝