会長コラム“展望”

生きるために学ぶのではなく、学ぶために生きる

2013/08/31

ビジネス

先日、全国の宗教用具業界の組合から研修会での講師を引き受けてくれとの依頼があった。テーマはこちらで考えてくれという。そこで、どのような内容が受講して下さる人たちにとってお役にたてるだろうかと考えてみた。ところが、なかなか良いアイデアが浮かんでこない。先方の準備の都合もあるので、テーマは適当に決めて返事をしたのだが、果たして参考になるお話ができるのかどうか、なんとなく心許ない。

それもそのはずで、ここ数年は宗教用具業界がどのような方向に向かっているのか、あるいは個々の小売店がどのような課題に直面しているのか私自身が注意深くウォッチしていないのである。もっとも、業界全体のトレンド(残念ながら望ましい方向ではない)は変わっていないはずだし、小売店の取り組むべきことについても普遍の原理原則があるわけだから、そんな内容で良いように思うのだが、もしかしたら新味のない内容かもしれない。

そういえば、人から聞いた話だが船井総研の創業者である船井幸雄氏のこんなエピソードを思い出した。当時の船井氏は同じような内容の著作を連続して出しており、そのことに対して質問されたときにご本人が答えていた内容らしい。「読み手の成長度合いは日々刻々変わっているのだから、同じ内容のものであっても、3ヵ月後に読んだときには新たな受け止め方ができる。だから(同じような内容のものを出す)意味があるのだよ」。ざっとこんな主旨だったと思う。確かにその通りで、私が行う予定の講演についても、このように考えれば気も楽になる(笑)。

生の最新情報をお話しできないのは、宗教用具業界に限ったことではなく、葬祭業界や石材業界についても同様で、現場との接点が乏しくなって久しい。もちろん、活字や人づてに間接的には情報は得ているのだが、自ら出向いて直接情報を仕入れるということが少なくなった。もちろん、自らがほかに取り組むべきテーマがあるからでもある。いわゆる会社のマネジメントというやつで、それはスポーツでいえば、監督業のようなもの。これまでの選手としての役割からシフトする必要に迫られたせいである。

選手のころは、いろいろなところに出かけて行き、さまざまな分野で活躍する人たちの話を聞きに行った。稼ぐためには学ばないといけないと考えていたからだ。稼ぎのヒントを得ようと、高名な経営者の講演を聞きに行ったら、「親を大切にしろ」「神仏を敬え」みたいな話を聞かされて、がっかりしたこともある。それが、大切な考え方だとその時は分からず、すぐに儲かる話が聞きたかったのだ。

本もたくさん読んだ。もっとも「稼がなきゃ」という意識が強かったせいか、経営やビジネス書の類が多かった。いろいろ読んでいると、ビジネスについて書かれたものでも「こうすれば儲かる!」的な方法論を声高に叫ぶ著者もいれば、そこに至るための考え方を論じる著者もいることに気付いてくる。方法論についての著作は、読めば儲かるような気がするし、つい買ってしまうのだが、それだけで上手くいくほど、ビジネスは幼稚なものではない。結局は方法論が効果を生むためには、そのビジネスに対する考え方をきちんと確立しなくてはならないわけだ。それは、大きな利害の分岐点で、ストレスに苛まれたり、挫折を経験したりという中から培っていくしかないわけで、一朝一夕に得られるものではない。

そんな経験を通して得られた考え方を示してくれる経営者の著作は、深淵だし崇高な輝きを持っていて、そんな本と出会えた時ほど嬉しい瞬間はない。ひとつの専門領域で年十年という長い時間を使って学び得た教訓を、数時間の音声、あるいは数百ページの活字に凝縮して、学ばせてもらえるという貴重な経験を得ることは、いくつもの専門領域を持つには短すぎる生涯の中で、とても大切な機会であるし、そこから新たな学びを得ることほど楽しいことはない。

「稼ぐ」という目的を達成すれば、人生における喜びが得られるものと最初は思っていた。そのために「学ぶ」という手段が必要だと考え、あちらこちらの講演やセミナーに出かけ、多くの本を読んでいた。でも、気が付いてみると「学ぶ」ということ自体が喜びであり、そこに意味があるのではないかと考えるようになった。もしかすると、「稼ぐ」は「学ぶ」の副産物に過ぎないのではないだろうか。

こんな話が何人の人に伝わるかはわからないが、ちょっと書いてみたかった。単に歳を取ったということなのかも知れない(笑)。

株式会社 鎌倉新書

代表取締役 清水祐孝