会長コラム“展望”

素直な祈りの場

2012/08/31

個人的価値観


今日は8月15日、言わずと知れた終戦記念日だ。

早朝、自宅からほど近い靖国神社にでかけてきた。私にとっての「祈りの場」 である。普段は静かなこの界隈も、この日は多くの参拝者、そして街宣車や警備の人たち、そして報道機関などでごったがえしていた。2012年、もう戦争が終わってから67年も経つ。日本人の平均寿命は多少長いけれど、一般的にはひとりの人間が生まれてから死ぬまでぐらいの長い時間が経過しているわけだ。その間、この施設に対しては国内の社会・政治問題や外交に関する諸外国との懸案事項として、さまざまな立場の人々からの意見やそれらに対する反論が喧伝されてきた。


本題ではないのだが、ここで靖国問題とは何なのかを簡単に見てみよう。

一つは公職である総理大臣や、閣僚などが参拝することは政教分離の原則から外れているのではないか、という点。二つ目は、そもそも靖国神社はその生い立ちからして、戦争における死者を祀るために創建された(もともとは戊辰戦争での戦死者)のだから、公職に就く人がここに参拝することは、戦争に対して肯定的なのではないかという疑念を持たれる、ゆえに参拝はふさわしくないという議論。さらに、外交問題としては、中国や韓国など、わが国は近隣諸国に対して戦争によって迷惑を掛けている のだから、その張本人たる戦争犯罪者を祀る場に、今日のわが国の政治を司る立場の人間が赴くなどけしからんという問題がある。さらに、戦争を起こした側 (戦争犯罪人)と戦争によって犠牲になった人たちを一緒に祀るべきではないという問題や、そもそも戦没者に対する慰霊の場が、神道という特定の宗教施設で良いのかという問題提起などもある。

このように、靖国神社は現代において複雑な問題を抱えてしまった施設なのだが、 ここはそのような問題に対する意見の場ではない。そもそも私の見識が他の人々のそれより、広い視野、高い見地から構成されているというわけでもないし、意見を記したところで問題の解決が図られるものでもないことも充分にわかっている。


「祈りの場」──多くの日本人はそ んな場所をそれぞれが持っている。

それは仏壇や神棚の前であったり、墓前であったり、あるいは特定の宗教施設であったりする。祈りの場を持つようになった きっかけもさまざまだ。近しい人の死であったり、人生における悩みや苦しみがきっかけで特定の信仰を持つようになったことであったり、と。

私の場合、その きっかけは20年ほど前、瀬島龍三氏の『幾山河』という本を読んだことだ。瀬島氏は、陸軍大学校を首席で卒業した当時のエリートで、戦時中は陸軍参謀として軍部の中枢に近いところにいた人物だ。終戦後はシベリアに抑留され過酷な環境の下で10年以上の生活を強いられた。帰国後は、伊藤忠商事でビジネスマン として活躍し、今度は政財界の中枢に昇り詰める。小説『不毛地帯』のモデルとも言われる瀬島氏の人生の回顧録を何度も読んで、当時の私は単純にも以下のよ うなことを考えた。

私たちの世代は戦後の高度成長期に生まれ、平和な社会で育ち、それほどの貧しさも知らない。多少勉強すればわかることだが、平和な環境に暮らし、貧困に喘ぐこともない、そんな生活ができる環境は、世界を眺めてみればほんの一握りの人々にしか与えられていない。そこでこのような疑問が生じる。「どうして私(たち)にはこのような環境が与えられているのだろう」と。

どうしても何もない、これは私たち日本人の先輩たちが築いてくれたものなのだ。それを当然のことと思うのか、このような社会を作り上げてくれた先輩たちのおかげだと思うのか、それは個々に委ねられているわけだが。

「祈りの場」──私にとって靖国神社は、日本人の先輩たちへの感謝と、自らや家族、あるいは会社の無事と発展を祈る場である。あなたの「祈りの場」に靖国神社は適当ではない、と言ってくれる人もいるだろう。でもそれはお門違いというものだ。私は、靖国神社にまつわる諸問題に対する何らかの信条をもとに参拝しているのではない。その場所が、私にとって「祈りの場」としてふさわしいと感じるからそこで手を合わせるのである。このように特定の信仰を持たなくても、日々の生活に感謝し、未来の幸福を念願し祈りを捧げる人は多い。同じ手を合わせる行為にも、 特定の信仰によるものと、そんな素直なこころの発露があったりするわけだ。


靖国問題においても、政教分離だの何だのというから、かえって人を遠ざけてしまう。信仰とは異なる、素直な祈りの場に対する認識が高まらないものだろうかと思うのだが。


株式会社鎌倉新書

代表取締役社長 清水祐孝