会長コラム“展望”

ウソはウソを呼ぶ

2020/11/01

組織

ウソはウソを呼ぶ

「日本学術会議」なんて存在すること自体知らなかった人も多いと思う。かくいうわたしも名称は耳にしていたものの、どんな役割の組織かをはじめ、その存在意義から実態まで何も知らなかった。一般の国民からは遠い存在であるこの組織のゴタゴタがいま世間を騒がせている。内容は周知のとおりであるが、要は菅首相が日本学術会議から推薦された会員のうち、6名の任命を拒否したことが問題となっているのである。6名は政権に対して批判的な意見を表明している人という共通点があって、この点を取り上げて「学問の自由への侵害だ」などの批判がさまざまな方面から繰り広げられている。いっぽう6人の任命を拒否した政権側も、日本学術会議の組織体質に問題ありと言いたいようで、いまのところ事態は収拾の方向性が見えていない。


 このアカデミック(?)な論争は、知的好奇心旺盛な部外者にとっては格好のヒマつぶしのネタであり、すぐ飽きがくるネットフリックスとは違って、ネット上に乱立する記事や意見を読んでいても飽きることがない。いろいろ調べていると、どうやらこの論争の背景には、太平洋戦争敗戦後GHQ下での日本学術会議の設立の経緯や、その後の紆余曲折の歴史が横たわっていることが分かる。そうなると、首相による慣例を逸脱しての任命拒否という事象だけを切り取って議論することの幼稚さも知ることになる。とはいえ、ここで受け売りに近い意見を披歴しても意味がないので、別の視点での感想をお話しすることにしたい。


 一連の騒動の中で、推薦の6人を除外した理由を問われた際に、首相は除外前のリストは「見ていない」と回答している。形式的な任命という慣例に従っているという線を崩したくなかったのか。しかしそれに対して、学術会議側からの推薦リストから6人を削除したのは誰か、それは文書改ざんだ、などと突っ込まれている。政府や役人は「政権に批判的な人物に対して首相が任命権を行使した。これが日本学術会議に対する無言のメッセージだ」となると問題が大きくなる。そこで、この事態を取り繕わなくてはならない。そために事実とは異なる見解を表明しているよう多くの人からは見えるだろうし、わたしも同感だ。210名の半数は105名なわけだから、「ちょっと白々しいじゃあないの」と。


 除外した理由を明らかにして、その意図するところを明確にして議論に持ち込めばいいのになあと感じているのは少数意見ではないだろう。というのは、ウソは次のウソを呼び込むからだ。その場を取り繕うための、ウソをつくと別のポイントでの整合性が取れなくなり、次々とウソをつき続ければならなくなる。最初のウソは真実らしいウソでも、次につくウソは怪しいウソになり(当初は想定していなかったウソをつかなくてはならなくなるから)、最後の方は真っ赤なウソ、誰でもウソと分かるウソになってしまう。


嘘も方便とも言われるわけで、人は大小さまざまなウソをつく。それが一個人の場合は、クローズされた範囲でしか真偽の確認作業は行われない。しかしながら、民主主義のもとでの一国のリーダーや政府ともなるとそれは世間に晒され、真偽の確認検証がいっせいに行われる。ましてや社会はIT化で情報流通が容易になっている。


個人的には任命拒否がけしからんとは思わないが、この政権はウソをつくのだな、と思われてしまうのが今後の政権運営に影を落とすのではないかと少し心配だ。また「事実か事実でないか」よりも、「事実でないと思われてしまう」ことが問題だと思うのだ。もっと重要で、本来やるべきことは他にもあるはずで、菅首相は今回の事態を迂闊だったと思っているのではないだろうか。やるべきことは重要課題へ絞り込んで、今回のようなそれ以下の課題には目をつぶることもリーダーには必要だというのが自分にとっての教訓だ。


株式会社鎌倉新書
代表取締役会長 CEO 清水祐孝