会長コラム“展望”

ガバナンスの機能する社会、機能しない社会

2022/06/01

社会

ガバナンスの機能する社会、機能しない社会

 前回はロシアのウクライナ侵攻をネタに、私たち人間の集団が正しいリーダーをいただくことの難しさを書いてみた。国の内外の報道はロシアのリーダーであるプーチン大統領の取った行動に対する批判一色のように思えるが、私自身はものごとの本質はそこにあるとは思っていない。むしろリーダーの間違った意思決定を生み出す構造って何だろう?ということを考えてみたかったわけだ。

 リーダーには権力が付与され、そこには周囲に対する生殺与奪の権も含まれるから、不愉快な情報や反対意見は次第に耳に入ってこなくなる。次に、このような自分の思うままになる状況はとても心地よいし、それを失うことへの恐怖心や、対立する側からのしっぺ返しも怖い。だから「権力を手放したくない」と考える。そこでリーダーは権力を背景に、権力が長続きするための手を打つ。その結果として、権力の強化と長期化が実現してしまうことになる。こうして出来上がった状態が間違った意思決定を生む誘因となり、今回の軍事侵攻のような悲劇が起こってしまったのではないか、そのような構造だろうと思うのだ。

 ちなみに企業でまったく同じ構造から起こった事件がゴーン元会長のルノー・日産の一件で、これについては以前に書いた。参考までに有罪か無罪かという話ではなく(2019/03/01)


 ちなみに、このような状況の国家は考えてみればいくつもある。お隣の北朝鮮はその最たる例だが、ベラルーシ、ベネズエラなどがそうだろう。また、中国やトルコもこれに近い方向に向かっているように見える。今回のロシアの軍事進攻をきっかけに、中国が台湾に侵攻するとか、北朝鮮が核ミサイルを発射するとか、そういった懸念について有識者がその可能性に言及する。だけど、そんなことが起こるか否かは、当事者の軍事力や技術力、あるいは置かれた状況よりも、その手前で発生したガバナンス不在の権力構造こそが重要なポイントだということ。そこがおかしな状況になっていれば、常識ではとても考えられないようなことは起こり得るのだ、ということを私たちは目の当たりにした。

 いっぽう、欧米やアジアの先進国家ではこのようなことが起こる可能性は低い。その理由は一定程度のガバナンスが機能しているからだ。リーダーを公平に選び、その権限を適度に抑制し、その座にいつまでも留まれないようなルールがある。そして、決められたルールを変更することは容易ではない。つまりリーダーが個人的な欲望を満たすという観点で、その地位に就くのは割が合わないようになっているのだ。もちろん社会を良くしたい、名誉を得たいというのも個人的な欲望の一種なのだろうから、彼らはすべての欲望を捨て去ったわけではないのだが。すべての生物もそうなのだろうが、とりわけ人間は欲と離れて生きては行かれない生物であり(だから地球上の種の頂点に立った)。だから状況が許せばいつでも個人的な欲を優先させる危険性がある、という歴史の教訓なのだろう。

 考えてみれば、市場経済は人間の欲望を最大限に活用することで社会を豊かにする仕組みである。大きな欲望を持った人間がリスクを引き受け、成功した者はリターンを得る。そして、ここから派生した果実を社会全体に配分するシステムだ。いっぽうで、それを野放図にし過ぎると権力や富が偏在化してかえって良くない、ということも歴史の中での経験から知った。そこで一定のガバナンスを機能させることで社会全体の最適化を計ろう、というのが今日の市場経済のスタンダードである。というわけで、このような意識が一定程度根付いている欧米やアジアの先進国家と、市場経済の経験が浅い冒頭の国々とのガバナンスの有無が要は対立の根本原因なのだ。


 経済のグローバル化は中国やソ連(ロシア)をはじめとした世界中の国々が市場経済へと転向した20世紀の終わりにスタートした。その後のITなどテクノロジーの進展もこの流れを後押しした。ところが、そこから数十年経ったいまごろになって、グローバル経済を続けていくにはガバナンス機能が必要なことに世界は気付いてしまった。そして、これが機能していない国家は仲間に入れられない、ということが今起こっている現象だ。そんな背景からグローバル経済はいったん終焉の時を迎えようとしている。これからはグローバル経済を終わらせ、目線の一致した国家同士で形成されるブロック経済の時代に移行する時代なのだろうが、その構築の期間中はかなり混乱するだろう。資源に象徴されるようなモノも調達先を変更せざるを得ず、安定まではかなりの時間も必要だろうから、インフレの長期化は避けられないような気がする。

 先日、マクドナルドがロシアから撤退するというニュースを目にした。ハンバーガー好きのロシアの庶民はさぞかしがっかりしていることだろうが、ガバナンスをきちんと機能させることが求められる欧米の大企業にとって、ガバナンスの観念のない国家の法の下で運営される企業を所有するなんてあり得ないってことだろう。日本だと例えばJTがロシアで大きな事業を行っているが、これはどうするのだろうか。ガバナンスが機能せず、おそらく企業の理念に合致しない国、だけど大きなポーションの事業である。難しい意思決定を迫られているのだろう。


株式会社鎌倉新書
代表取締役会長CEO 清水祐孝